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第5章-幸村編-⑰ [「うたかたごころ」第5章-幸村編-]
「うたかたごころ」を初めてお読みになる方は、必ず(はじめに)をお読み下さい。
<第5章-幸村編-⑰の登場人物>
吉川愛子(よしかわ あいこ)♀…25歳。主人公。Japan Air の客室乗務員。
かつては安芸吉川(きっかわ)の姫。
幼少の頃に毛利元就の友だった
戸隠(とがくし)かすが♀…25歳。Japan Air の地上係員で、愛子の同期
片倉小十郎…Japan Airの名操縦士。愛子とは一緒に乗務することがある
かすがの部屋にあがった小十郎は、邪念の気配を微塵も見せず、かすがの勧めるままテーブルの前に腰を下ろした。部屋を眺め回すわけでもなく、卓上に置いてある、エアコンやテレビのリモコンを見て、音は静かですか、電気代は、などと当たり障りのない話をさり気なくする。こういうデリカシーが、流石紳士と思う反面、女性宅の場数を踏んでいるようにも感じ、妙に落ち着かない。デートの約束をとりつけた段階で、部屋を模様替えして念入りに掃除したのだ。かすがとしては小十郎の反応が、むしろ少し物足りない。
「蕎麦茶……ですか、いい香りですね。これはもしや信州のご実家から?」
リサイクルショップで大急ぎで調達した茶托に、蕎麦茶を乗せて小十郎の前に置く。
「はい、農家の親戚の近くに老舗の蕎麦屋がありまして……野菜や蕎麦と一緒にときどき」
「いいですね。蕎麦どころの故郷……羨ましい。宮城は米どころなんですが、うちは町中なんで、菜園は全部ビニールハウスですよ。自分の家で食べる分しか育てていませんし」
自嘲気味に笑みながら、小十郎は蕎麦茶をすすり、うん、と満足気にうなずく。
「やはり、日光の香りがするものは違いますね。日本の蕎麦の自給率を考えると残念だ」
厳しい環境でも育つ蕎麦は、特に山間地域での栽培が盛んだ。日本は山が多く、蕎麦は和食、というイメージが強いからか認知度は低いが、実は蕎麦の自給率は約2割ほどだ。
「よくご存知ですね。私の地元でも、蕎麦に従事した家じゃなきゃ、知らないと思います」
「仕事柄、でしょうか。ほら以前、輸入した蕎麦からメタミドホスが検出されたことがあったでしょう。私が積んで飛んだ貨物にも、その問題の蕎麦が入っていたことがあって」
あのとき機内食に蕎麦が出て、食べようか悩みました、と小十郎は笑った。だが、操縦士の食中毒は笑いごとではない。機長が副操縦士と必ず別の物を食べるのもそのためだ。
「そうですよね……でも、育てた人のことを考えると、捨てるのも気がとがめますし……」
かすが自身は、農業に携わったことはない。だが、親戚には農作を生業とする家がある。生き物を育てていると、収穫物への思い入れはひとしおだ。小十郎とて家庭菜園とはいえ、自ら植物を育てる家。ならば、食べ物をゴミにする躊躇(ためら)いは強いだろう。
可燃ゴミの日に傷んだ野菜が捨てられているのを見ると、胸が痛みます、とかすがは自分の蕎麦茶に手を伸ばす。すると、その水面に映った小十郎の瞳が目に入り、顔を上げた。
彼の優しい眼差しと、かすがの視線が交差する。
かすがの胸がどきりと跳ねると同時に、小十郎もするりと目を逸らしてしまったので、ほんの一瞬の出来事だった。でも、細められた小十郎の目が、かすがを愛おしそうに眺めていたことは、はっきりとわかった。もしかして、好意を持ってくれているのだろうか。
自惚(うぬぼ)れかもしれない。でも、会話に空いた間、小十郎の視線、そういったことのひとつひとつが、ほんの刹那、言葉を必要としない境地に達していた。
「そういえば……ペンチの類ってありますか? もしあれば、貸していただきたい」
え? とかすがは慌てる。束の間の甘い雰囲気に、少しだけのぼせていた頭を必死に働かせながら、小十郎の視線の先を追うと、留め金が外れたキーケースが置いてあった。
「あ……あります! すみません、こんなことまでお願いして……あ、携帯充電しますか?」
「えぇ……では。こちらこそ、申し訳ない。家までもつ程度に充電できれば結構ですので」
遠慮がちに差し出された小十郎の携帯を受け取ると、かすがは海外旅行用に買った、日本メーカー全機種対応の充電器に差し込んだ。通電し、背面に赤いランプがともる。
その充電ランプの意外なデザインに、かすがはわずかに目を見開いた。
漆塗りのような黒い携帯に、赤い丸ランプが六つ。真ん中に大きな丸があり、それを囲むように小さな丸が五つ、順番に強い光を放って、円を描くようにともっている。
「……梅……みたいですね」
あぁ、と小十郎は苦笑し、女性用の携帯というわけではないそうですが、と前置きする。
「面白いデザインですよね。うちの家紋にも見えたんですが、モチーフは一応梅だそうで」
そういえば、片倉家の家紋は「九曜(くよう)」という九つの丸を並べたデザインだ。真ん中に大きな丸がひとつ、それをぐるりと八つの小さな丸が囲む。確かに似ている。
「最初は、丸がもう少し多ければと、残念に思ったんですけどね。やはり梅に惹かれて」
「梅……お好きなんですか?」
「……春もやや けしきととのふ 月と梅」
え? と瞬(またた)くかすがに、小十郎が、芭蕉の句です、と照れたように微笑む。
「この句に出会ったとき、心から共感しました。最近は春とくれば、もっぱら桜が主役の扱いを受けていますが、私にとって春の風情を一番感じるのは、月と梅の姿なんですよ」
名月とくれば秋と言われますが、春の月はそれに勝るとも劣らない、そう静かに語る小十郎には、月がよく似合うと、かすがはぼんやり眺めた。その小十郎、こちらを見るや、
「かすみたつ ながきはるひを かざせれど いやなつかしき うめのはなかも」
ご存知ですか? と問いたげに一首。聞いたことがある。確か、万葉集だったような。
……かすみ立つ、長い春の日をかざし続けても、ますます惹かれる梅の花だろう……。
「私は初夏に近い桜の春より、肌寒い梅の春が好きなんです。信州もそうだと思いますが、東北の冬の寒さは本当に厳しい。でもそれを乗り越えたあと、日差しのなかに、着込んでいた物を少しだけ脱いでみようかと思えるぬくもりを感じると、心が溶かされます」
「……分かります。あぁ、もう春がすぐそこまで来てるのかって、私も嬉しくなります」
湖や川の水面の色が明るくなり、裸の枝にはいつの間にか、細かい芽が生まれている。
「かすがさんに共感いただけて嬉しいです。梅が咲くと、月も春の姿になる……梅を咲かせるのも、月光を柔らかくするのも、すべて春の日差し……優しいけれど偉大な力だ」
かすがも、まさに同じことを思っていた。冷たい雪が手袋を濡らし、指先が何度も凍りついた信州の冬。学校のストーブでいくら手をかざしても、家のこたつにいくら手を入れていても、体温はなかなか戻らない。でも、春の日はこんなにも柔らかいのに、雪を溶かして花を咲かせ、体にぬくもりをくれる。自然とは何と優しくて、偉大なのだろう、と。
「凄いですよね。いくつストーブを集めても、たったひとつの太陽には敵わないなんて」
「えぇ……本当に……まさに、あなたにぴったりの名だ」
唐突に出た、名、という単語に、一瞬の間を置いて、かすがは、はっ、と顔を上げる。
「春日(はるひ)のかすが、という枕詞が由来ですよね……あ、違っていたら申し訳ない」
「いぇ、仰る通りです。かすが、というのは元は地名で、『神の住処(かみのすみか)』というのが『かすが』という言葉の意味だと、祖母から聞いたことがあります。その場所を歌に詠むとき、枕詞に使った『春日(はるひ)』を、後にかすがと読むようになったと」
話しながらふと、かすがはこの話を聞かされた時のことを思い出し、くすくすと笑った。
「昔はあまり自分の名前、好きじゃなかったんです……けど今は、家族に感謝しています」
好きじゃなかった? と小十郎は意外だと言いたげに眉を動かした。
「ひらがな、ていうのが嫌だったんです。小学生のころ、担任の先生が新しい漢字を教えてくれるとき、その字が名前になっている子に必ず、いい名前ね、って言ってくれたんです。でも、私はひらがなだから、そのチャンスがなくて……凄く羨ましかったんです」
今でもたまに、「愛子」など意味が一目瞭然な名は羨ましいと、密かに思っていたりする。
「それで、どうして『春日』にしてくれなかったのか、と家族に問い詰めたことがあって」
「私は、ひらがなのほうが、あなたのイメージに合っているとは思いますが……それで?」
ひらがなが似合うと言われ、赤面しつつ、かすがは当時の家族との会話を思い出した。
「一応色んな由来があって、もちろん植物を育む『春の日』のように、という願いもあるんですが……先祖に同じ名前の女性がいて、その縁が一番の理由だ、と言われました」
「ご先祖ですか……珍しいですね。女性の名前は歴史に残らないことのほうが多いのに」
「そうですよね。私もそんな名前の女性の存在は知らなかったんですけど……」
かすがはその女性について、何度かインターネットで検索しているが、彼女について記された資料には、未だ行き当たっていない。もはや実在するのかも怪しいと思っている。
「祖母の話では、どうもその女性は軍神と呼ばれた人に仕えていたとかで、そのきっかけも『かすが』という名前に軍神が縁を感じたからだそうで……まぁその辺は祖母の脚色もあるでしょうから、凄く曖昧な情報なんですけど……それでその女性は、主君を失ったあと故郷の信州に戻って、その後は、梅、と名を変えて、東北に嫁いだんだそうです」
「……梅……東北に……ですか?」
えぇ、と答えつつ、かすがは小十郎の表情に違和を感じ、かすかに眉を寄せた。
「どうかされました?」
「私の先祖に……信州から女性をめとった武将がいたんです。それが……その、名が……」
小十郎にしては、ずいぶんと歯切れが悪い。それに、興奮を抑えているようにも見える。
だが後に続いた小十郎の言葉に、かすがは息が止まりそうになった。
「名が……梅……という女性だったもので……しかもその武将、私と同姓同名なんです」
「同姓同名って……じゃぁ、そのご先祖ということは……まさか、伊達の……」
こんなことがあるなんて、と小十郎も驚愕を隠せず、ひとつ大きく深呼吸をする。
「えぇ、かすがさんのお察しの通り、初代・片倉小十郎……伊達政宗の腹心だった男です」
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